仲田修子話 33
父の死後修子はもう勉強するどころの精神状態ではなくなり授業中もずうっとボーっとしていた 周りもそういう修子に一切触れず 修子が乱暴をはたらいたりしても何も言われず腫れ物を扱うような感じになっていた それは卒業するまでずうっとのことだった そしてそれ以降の中学校の思い出は修子にはほとんど無い...
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父が死んで1年くらい経った 母千代がとつぜんある男性と交際しはじめた その相手はかなり高齢だったが 京都帝大法学部卒業で元検事という肩書きさらには会社経営者ということだった 男にすがることしか頭に無かった母は即座にその男と再婚した 修子もその時は気づかなかったが、あとで考えてみればその男の会社の名前も場所も一切聞かされてなかった そういうことを証明するようなものは一切無かった...
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もちろん赤羽の団地・・・それは義父の名義になっていた・・・からも修子親子は出ていかなければならなかった うまくいきそうにちょっとだけ見えていた展望はあっという間に奈落の底へと突き落とされることでまた見えなくなった 1から再スタート・・・いや、そうではなかった 父が遺していた仲田家の財産・・・家一軒買えるほどあった財産がすべて無くなってしまっていたのだ...
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さて、今回は「仲田修子話」の続きへ行く前に修子の旧い友人で現在も彼女のヘアメイクを担当してくれている河西修さんへのインタビューを紹介します 彼は修子と同じように若い頃大変苦労してほぼ独学で理髪師の免許を取得し、現在は阿佐ヶ谷駅のすぐ近くでヘアサロン「HAIR MAKE TINA」を経営しています それでは 「まず質問ですが、修子さんと出会ったのはいつごろですか?」 「今から25年くらい前...
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さて、仲田修子の友人で彼女のヘアメイク担当をしてくれている河西修さんへのインタビュー後半です 「・・・”理由とコツ”と僕は言うんですけど、理論があってそこに方法があるってことは僕が髪の毛を扱うことと修子さんが曲を作ってゆくことと仕事はのジャンルは違うけどどこか同じ香りがするんですよね 修子さんが昔書いた曲が今でも新鮮だというのはちゃんと理由があると思うのですよね...
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さて、ここから「仲田修子話」も次の章に入る その頃母は一応保険の外交の仕事をしていたが成績があるわけもなく収入も全然無かった 高校を中退した修子はとにかく何かの仕事をみつけなければならなかった そしてすぐに近くの職安に行った 職安の対応は細かい希望なんか聞く耳も持たず「高校中退ならこういうところへ行け」とばかりに問答無用で修子はカーラジオの組み立て工場を紹介された...
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修子が次に就いた仕事は王子にあった某大手化粧品会社のやはり工場勤務だった そこでの仕事は「ファンデーション」を作る作業 原料の粉をものすごく厚みのある金属の筒状のものに入れてそれをセットする そこへプレス機が回ってくる バーンと圧縮されその工程が終わると次にプレス機が来る前にその筒状のワクを外し下からまた重たいワクを持ち上げてセットするという今まででも一番の重労働...
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修子は目を覚ました・・・生きていた 気が付いたのは自殺を図った場所の近く 地元にある病院の病室だった 病院の説明では2日間ぐらいは意識不明だったそうだ 助かった修子が聞かされたのはこういう話だった...
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新聞を買ってきてその中に掲載されている求人欄を修子は見た すると港区虎ノ門にある「虎ノ門病院」で「看護助手」という仕事の募集が出ていたのですぐに行って面接を受けた するとなんと意外なことに・・・あっさりと採用された 看護助手の制服は色は違うが看護師とほぼ同じようなスタイル 周りは今までの職場とは違いみんな教養のある人ばかりで精神的にすごく楽だった...
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修子はある雑誌に連載されてた女性漫画家の漫画のファンになり、ある日彼女にファンレターを送った すると思いがけず向こうから返事が返ってきて「今度会おう」ということになった 約束したその日、修子は指定された場所に向かった そこは新宿にある「風月堂」という喫茶店だった 地理が大苦手の修子はその場所がどうしても判らず仕方なく近くの交番に訊ねに行った...
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「赤いブックカバーの本を持ってる」というのが目印だったその女性漫画家はすぐに見つかった 初対面だったが二人はすぐに意気投合して友達になった それからもちょくちょくその風月堂に二人で通った というのも修子には全く関心が無かったのだが、その漫画家の友人が「フーテンをやってみたい」というので「じゃあそういう格好を真似てみようか」ということで見よう見まねで修子たちもフーテンファッションになっていった...
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当時流行りはじめた「ゴーゴークラブ」 そこではいつも大音量でその当時ヒットしていた「JB」などに代表されるブラックソウルミュージックが流れていたのだが それらを修子は「音楽」だとは当時は思っていなかった なんかお祭りなんかで景気をつける「やぐら太鼓」みたいなものなんだろうと思っていた JBが何なのかはあとで自分が音楽をやるようになってから「あれがこれだったのか!」と気が付いた...
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虎ノ門病院での仕事はなかなか快適で待遇もまあ良かったのだが、ここで修子の性格が頭をもたげてくる もっとさらに楽で面白い仕事はないかと思って、どうせやるなら水商売・・・それも男ではなく女に媚を売る商売がいいなと思い探してみると、週刊誌に銀座にあった「白川」というレズビアンクラブの記事が載ってたので、そこに電話をかけてみた 「すみません 従業員募集してませんか?」と...
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そのハイヤーで家に帰る修子 男装してるのでてっきりどこかの良家の坊ちゃんだと思われたようでハイヤーの運転手からこんなことを言われた 「私はお客さんのような身分が羨ましいですよ・・・」 「なんでですか?」と訊ねると 「私らみたいな人間はこうやって汗水たらして一生懸命車運転して・・・それでも一生今お客さんが出てきたお店のように高級なナイトクラブなんて死ぬまで行けないんですよ・・・」 とこぼした...
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その当時、修子たちが通っていた他のレズビアンクラブのママから「あなたに店を出してあげる」と言われたり ほかにも赤坂の芸者をやっていた人から「一緒に住まないか」と誘われるなど・・・その界隈でも修子はかなりモテてたのだ そのレスビアンクラブには色々な芸能人も来ていたが、大抵の人間ははすごく下品で態度が悪かった...
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修子にはレズビアンクラブ「白川」でのチップと給料を合わせれば当時でも5万円近くの収入があったが、住まいは相変わらず4畳半のアパート暮らし 収入が上がったのだからもう少しいい住処に移れるように思えるがそれは無理だった それは修子の弟がその頃大学に通い始めていたのでそれにものすごく学費がかかったのだ 一生懸命働いて稼いでそのほとんどを弟のために差し出していた修子...
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むこうからやってきたのは中年の男性がひとり 「この建物の管理人か大家さんか?」と思った修子はその男性に話しかけた「すみません、テラヤマさんという人居ますか?」 すると「僕が寺山です」と・・・その人物が作家でもあり「天井桟敷」の主催者の寺山修司だった しかし元々演劇にはまったく興味も関心もなかった修子にとってはそれが誰であろうと関係なかった 「ここで寺山さんに会うように言われて来たのですが」...
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