仲田修子話 53
修子の登場する場面の内容は昔の歌舞伎の「白波五人男」のパロディーで男装の麗人が5人登場してそれぞれキメの台詞を言うという内容で修子は「南郷力丸」という役名で揃った5人の中で最後にセリフを言うという演出になっていた 修子だけはそのセリフを(かなり長いのだが)全部自分で書いたのだ ちなみにこれの土台となっている歌舞伎の「白波五人男」での「南郷力丸」の台詞はこうだ さてどんじりに控えしは...
View Articleこれは面白い
昨日の東京都議会議員選挙 自民党の大敗・・・それに至る経路 そしてその後・・・いやあ面白い動画が一杯出てるねえ 政治的にどうこうというつもりは毛頭ないけど・・・こりゃアップしたくなっちゃいました そして落選した候補・・・完全にキレてる
View Article仲田修子話 54
ところで、その当時の寺山修司の劇団「天井桟敷」はアングラ演劇のブームの中でそれこそもう飛ぶ鳥を落とすような勢いを、もう一方の雄、唐十郎が率いていた「状況劇場」と争っていた...
View Article仲田修子話 55
修子がレスビアンクラブで働いていて仲田一家が相変わらずパン屋の4畳半に住んでいた頃、母がまたもや男を連れ込んだ その男は年齢は50代くらいで屋台のおでん屋をやっているといるということで、母はたまに頼まれて大根を茹でたりとかして手伝ったりしていた その男は家に泊まったりするようなことはしなかったが、しょっちゅうやって来ていた...
View Article仲田修子話 56
この話は修子が忘れてた・・・のではなく筆者にも語らず隠していた事件で、その理由は本人が「あまりにもヒドくてこの話は人に知られたくない」と思っていたためだが、バンドメンバーの瀬山からのタレこみがあり(笑)「これはゼヒ掲載したい」と筆者が修子を説得して聞き出した話です その”事件”が起きたいきさつだが、当時修子は虎ノ門病院の8階の「脳外科」の病棟で看護助手として勤務していた...
View Article仲田修子話 57
さて、今からお伝えするのは仲田家をも巻き込みそうになった大きな社会的事件のことだ それは1968年10月21日に起きた通称「新宿騒乱事件」 当時の日本には「全学連」という大学生によって組織された政治的目的を持った集団があった それらの運動が1960年の「日米安全保障条約」通称「安保」問題あたりをきっかけに日本各地の大学で巻き起こりやがてどんどん大きくなっていった...
View Article仲田修子話 58
この事件は朝まで続き結局新宿駅とその周辺(現在のアルタ前近辺)はもう壊滅的に破壊された 学生約7千人で始まったこの「暴動」は最終的には一般市民も加わって2万人以上になり機動隊も全く手出しができなかった この事件ではじめて「騒乱罪」が適用され743人が逮捕されたが・・・結果は完全に学生側の勝利だった さて、そのときの仲田家だが・・・...
View Article仲田修子話 59
さて、ここまで続けてきた「仲田修子話」 この先またまた新しい展開が始まるのだが、ここで今まで話してきた彼女のエピソードの中でとくに「新宿」を舞台にしたものが多かったので、その当時60年代と今の新宿を比較してみようかと思う まずは「44話」に出てきた「フーテン」 当時新宿駅の東口の小さな広場にある「グリーンハウス」と呼ばれた場所とそこを中心にそこらに風俗としてのフーテン族と呼ばれた連中がたむろしていた...
View Article仲田修子話 60
新宿で今もあの当時とほとんど変わらない地区といえばやはりここだろう 「ゴールデン街」 修子は決して近寄らなかったがこの地域が持つその猥雑さと毒気は相変わらず失われていないようだ そのゴールデン街のすぐ裏に「花園神社」がある ここはれっきとした立派な神社なのだが、60年代に唐十郎の「状況劇場」が紅テントでの上演をやってそれを警察の機動隊が取り囲んだことで一躍ニュースになった場所だ...
View Article仲田修子話 61
さて、「57話」「58話」でお伝えした「新宿騒乱事件」その現場の then and now まず当日過激派の学生たちが集結した西口の立体ロータリー 戦場と化した新宿駅構内 この線路の敷石が武器となったのだ ひっくり返され放火された警察車両 東口を囲む店のウインドウガラスは投石によってめちゃくちゃに破壊された...
View Article仲田修子話 62
さて、修子はその後もレズビアンクラブで働いていたが芝居が終わってから3~4ヶ月くらい経った頃、修子が勤めていた店がその経営者とパトロンとの間の揉め事をきっかけにするように経営が思わしくなくなってきていた ちょうどその頃修子自身もそろそろこの仕事に飽きてきたのでここらが潮時だと思いその仕事から足を洗うことにした...
View Article仲田修子話 63
「お前ら、ここで何をしてるんだ!」 取り囲んだ大人数のヤクザにそう言われ修子以外のメンバーは全員恐怖で凍りつき何も言えないで居た しかし、ここでも修子は冷静だった 平然としてその時とっさに浮かんできた言葉を彼らに返した 「私たち、実は売れない役者なんです 今日稽古があってその帰りなんですけど、お金が無いのでこうやってお酒を買ってきてここで飲んで打ち上げをしてるんです」 とデタラメなことを言った...
View Article仲田修子話 64
そのような一件もあってアニメ会社のほかのスタッフの中での修子の人気はさらに上がり周りからすごく尊敬されるようになっていた 思えば幼少期から常に“孤独”の中に居た修子はこのあたりから「変身」したのではないか ほかにはこんなこともあった ある日修子は自分で企画して近所の喫茶店を貸切にして「ダンスパーティー」を開いた その話を周りの人間や「虫プロ」の人たちなどにも声をかけた...
View Article仲田修子話 65
「スズキくん」とは何者なのか・・・ここで補足説明をしなければいけない 実は修子は虎ノ門病院で働いていた頃から文学に興味があって小説の同人雑誌に自分の書いた小説を投稿したりしていた ジャンルは「プロレタリア小説」と「SF小説」 そのいずれもその世界の中でなかなか高評価をもらっていたそうだ さて、そのスズキくんがある日買ったばかりのギターを持って修子のアパートにやってきたのだ...
View Article仲田修子話 57
さて、今からお伝えするのは仲田家をも巻き込みそうになった大きな社会的事件のことだ それは1968年10月21日に起きた通称「新宿騒乱事件」 当時の日本には「全学連」という大学生によって組織された政治的目的を持った集団があった それらの運動が1960年の「日米安全保障条約」通称「安保」問題あたりをきっかけに日本各地の大学で巻き起こりやがてどんどん大きくなっていった...
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この事件は朝まで続き結局新宿駅とその周辺(現在のアルタ前近辺)はもう壊滅的に破壊された 学生約7千人で始まったこの「暴動」は最終的には一般市民も加わって2万人以上になり機動隊も全く手出しができなかった この事件ではじめて「騒乱罪」が適用され743人が逮捕されたが・・・結果は完全に学生側の勝利だった さて、そのときの仲田家だが・・・...
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さて、ここまで続けてきた「仲田修子話」 この先またまた新しい展開が始まるのだが、ここで今まで話してきた彼女のエピソードの中でとくに「新宿」を舞台にしたものが多かったので、その当時60年代と今の新宿を比較してみようかと思う まずは「44話」に出てきた「フーテン」 当時新宿駅の東口の小さな広場にある「グリーンハウス」と呼ばれた場所とそこを中心にそこらに風俗としてのフーテン族と呼ばれた連中がたむろしていた...
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新宿で今もあの当時とほとんど変わらない地区といえばやはりここだろう 「ゴールデン街」 修子は決して近寄らなかったがこの地域が持つその猥雑さと毒気は相変わらず失われていないようだ そのゴールデン街のすぐ裏に「花園神社」がある ここはれっきとした立派な神社なのだが、60年代に唐十郎の「状況劇場」が紅テントでの上演をやってそれを警察の機動隊が取り囲んだことで一躍ニュースになった場所だ...
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さて、「57話」「58話」でお伝えした「新宿騒乱事件」その現場の then and now まず当日過激派の学生たちが集結した西口の立体ロータリー 戦場と化した新宿駅構内 この線路の敷石が武器となったのだ ひっくり返され放火された警察車両 東口を囲む店のウインドウガラスは投石によってめちゃくちゃに破壊された...
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さて、修子はその後もレズビアンクラブで働いていたが芝居が終わってから3~4ヶ月くらい経った頃、修子が勤めていた店がその経営者とパトロンとの間の揉め事をきっかけにするように経営が思わしくなくなってきていた ちょうどその頃修子自身もそろそろこの仕事に飽きてきたのでここらが潮時だと思いその仕事から足を洗うことにした...
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