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Channel: ジミー矢島の日記 | 高円寺ライブハウス ペンギンハウス
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僕のブルースマン列伝 22

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そうそう・・・そうなんだよね 僕のブルースマン列伝に出てくるのはギタリストばかり・・・これは僕自身がギター弾きなのでついついギターものばかり聴いてたせいなんだけど、もちろんブルースの世界にはギタリストだけじゃなくてベース、ドラム、ハープなどそれぞれにジャイアントたちが一杯居たんだ・・・そういうわけで今回は初めて「ピアニスト」を紹介 その人の名は

オーティス・スパン Otis Spann

 

1930年3月21日にミシシッピー州ベルッゾーニで生まれ、1970年4月25日にシカゴで肝臓ガンのスッパンために亡くなりました。当時のミシシッピーでは有名なピアノ弾きだった父親のフライデイ・フォードの影響でピアノを弾き始めました。1947年にシカゴに出て、昼は左官屋の仕事をし、夜はバンドで演奏する生活を続け、1950年代になりマディ・ウォーターズ・バンドに参加して活躍するようになりました。並行して自己名義のアルバムも数枚出ています。

 

勿論マディーウォーターズの初期のバンドのメンバーとしてであまりにも有名なピアニストだったんだが、彼のボーカルがまた素晴らしい

マディーとは全然違うハスキーで甘い声、そして都会的センスもたっぷりあるブルースを歌えるシンガー そしてそのなんとも愛嬌のある色っぽい表情と歌い方・・・う~ん、魅力的な人だなあスパン

この 歌い方・・・たまらないねえ

 

前から思ってるんだけど、人気のあったブルースマンって演奏の上手さだけじゃなくて人間自体の魅力がある人が多いんじゃないかな・・・

オーティスはピアノに関してはマディーの求めるミシシッピ的な泥臭いサウンドからモダンなものまで何でもこなせる「達人」だったそうだ

こんなエピソードがあったそうだ マディーが呼ばれて初めてヨーロッパで演奏ツアーをしたときのこと・・・当時(60年代初期)のヨーロッパにはまだロックも馴染みがなくて「ブルース」もビッグ・ビル・ブルーンジーやホッシュ・ホワイトのようなアコースティックの「フォークブルース」しか馴染みがなかった

そこへマディー・ウォーターズがバンドで乗り込んでギンギンのシカゴブルース・・・勿論エレクトリックだ・・・を演奏したら、観客がびっくり仰天して「こんなうるさくて野蛮な演奏は聴いてられない」とブーイングを食らって急きょオーティスをメインにした静かな演奏に切り替えたというのだ

まあ、ディランがエレキ抱えてニューポートに登場した時もそんな感じだったらしいけど・・・マディーたちもさぞ面食らったろうねえ(笑)

 

マディー・ウォーターズの初期のバンドを支えたリトル・ウォルターもこの人も早死にで本当に勿体無かったねえ・・・

 

 


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