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Channel: ジミー矢島の日記 | 高円寺ライブハウス ペンギンハウス
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どうなんだろうねえ

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今朝は朝10時にペンギンハウスで水道工事の打ち合わせがあったのでえらく早起きするハメになった

起きてまだ寝ぼけながらテレビをつけたらニュースでなんと2020年オリンピック開催が東京に決定したと報道していた・・・意外だった

下馬評では「東京有利」と噂されてたが直前のプレゼンの記者会見で外国の記者たちから「福島の放射能汚染問題」について質問が殺到するとしどろもどろな答弁しか出来なかったり、アベ首相が「健康などにはまったく心配がない」などと大虚言をしゃあしゃあと述べるなど、むしろ日本のダメな部分が出てきてしまっていたので・・・こりゃあダメだろうな・・・そう思ってた

ところが投票は大差で「東京」となったという 喜ぶ人もいるんだろうけど・・・僕はどうも腑に落ちない

前回、1964年の東京オリンピックのとき僕は小学6年生だった 代々木の国立競技場に選手団が入場するのをテレビで観たり(僕の記憶ではカラー放送だったが実際はモノクロだったらしい)、自衛隊の飛行編隊が競技場の上に大きな「五輪」を描くのを遠くの武蔵野市から生で眺めたり、土砂降りの雨の中ずぶぬれになりながら学校から強制的に駆り出されて鼓笛隊で聖火ランアーを見送ったり(1時間以上雨の中を待たされて来たらあっという間に通り過ぎた)当時の都内の小学校すべてにオリンピック観戦の「校外授業」というのがあって代々木の競技場に全生徒で行ったら「馬術競技」で・・・はっきり言ってちっとも面白くなかったので競技場裏の空き地で遊んでたのを覚えてる

あのころの日本はまだまだ貧しかった 映画「ALWAYS三丁目の夕陽’64」ではまさにその当時の東京が描かれているが、あの映画に決して出てこない人たちを僕はよく覚えている

 

 

まず「傷痍軍人」・・・必ず真っ白な戦闘服を着て義足や義手をつけた元軍人さんが繁華街の街角でアコーディオンなどを弾きながら軍歌を歌って物乞いする姿 「お乞食さん」や「くず屋さん」、「引揚げ者」と呼ばれた人たち(ここらへんについてはそのうち詳しく話しておきたい)・・・などなど

今、日本も東京もあれからものすごい成長と発展をとげて世界的大都市になった

貧しい人は居なくなった・・・? アパートで飢え死にする親子が居たり、未だに自分の家に帰ることができない福島の人たち、そして毎日のように起きる自殺、残忍な殺人、おまけに日本をどんどんおかしな方向へ引っ張っていこうとするお偉いさんたち・・・

あれから日本は本当に夢のある素晴らしい国になったのか・・・何を目指してきたのか・・・

それに対する回答は今の若者たちの発する叫びの中にあるようでならない

コーヘイフジノの「ぽんこつ音頭」の一節を、聞いてほしい

「消えりゃ楽になる/死んでやる」

 

 


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