僕の吉祥寺話 19
僕の歌うたいとしての初舞台はやはり吉祥寺ぐゎらん堂だった 今思うとあの時代・・・僕は本当に恵まれていたと思う オリジナルの曲は19歳の頃から書き始めていた 当時「現代詩」をずいぶん読んだなあ・・・ 谷川俊太郎、ラングストン・ヒューズ、アルチュール・ランボー、金子光晴、山之口獏、長田弘、黒田三郎、吉野弘・・・まだまだ ギターにはそこそこ自信はあったが曲・・・それに歌にははっきり言って自信がなかった...
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いつごろからなんだろう 吉祥寺が「若者の街」と呼ばれるようになったのは 今は何て呼ばれているのかは知らないが「若者の街」という名称はちょっとばかり誇らしげなニュアンスを持って付けられていような気がする とは言っても物理的に確かに吉祥寺は若者の街ではあった それにはちゃんとした理由があって、まず学校の数が多い...
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今はもう無くなってしまったが僕が好きな路地があった その場所は今北口の「PARCO」の巨大な建物の中に飲み込まれてしまったが、いかにもあの当時の吉祥寺らしい雰囲気のある一角だった ちょっと図に描いてみた 下手くそな図で申し訳ないが 赤い線で描いたのが今のPARCO そのほぼど真ん中を南北に突っ切る路地があった 入り口の角に「春木屋」という高級紳士服のブティックがあった...
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70年代の中頃に日本のあちこちで「コーヒーショップブーム」みたいなものが始まった それはそれまであった「喫茶店」とは一線をおいたスタイルで”喫茶店”といえばそれまでコーヒーも紅茶もメロンソーダもサンドイッチもスパゲティーナポリタンもときにはかつ丼までもあるといったような・・・やる気のなさそうな厚化粧のウェイトレスがいて店には南国の観葉植物がどんと置かれていてBGMはクラシックか洋楽それも有線・・・...
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吉祥寺の「ボガ」は個人経営だったけど当時の「コーヒーショップブーム」にうまくシンクロしたみたいで次々と支店を増やしていた そして「第3ボガ」通称「3ボガ」は2ボガから2年くらい遅れてオープンした 場所は「21話」で触れたあの今は無い路地の奥だ 今の景色はこんな⇒感じになってる...
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さて、ちょっと間が開いたが話をまたぐゎらん堂に戻そう いつだっかははっきりした記憶が無い まあ調べればわかるんだけどメンドウなので、多分シバの「コスモスによせる」の録音があってしばらくのことだったと思う とにかくその年だったのは間違いない ある日、シバから連絡がきた 「ちょっと相談したいことがあるからぐゎらん堂まできてほしい」とのこと そこで行ってみると店にはシバと「ワダちゃん」が待っていた...
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「武蔵野タンポポ団に入らないか」 という誘いは僕にとって本当に「晴天の霹靂」というか大きな事件だった とにかく当時のタンポポ団といえばしょっちゅうあちこちからお声が掛かって日本中でコンサートやライブに出演しまくってたからだ さすがに即答はできなかった それは当時まだまだ駆け出しの”ひよっこシンガー”だった僕にはあまりにも”でかい”話だった...
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その話はシバから来た URCレーベルから一枚目のアルバム「青い空の日」を発表して全国的にもかなり名前の知られてきていた彼に今度はメジャーのレコード会社「CBSソニー」から二枚目を出さないかという話が来たのだ 当時僕からの影響もあってシバはかなりジミー・ロジャースに傾倒していた...
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シバのアルバム「コスモスによせる」に参加することで、なんとなくだが僕は急にミュージシャンそれも「プロ」として周りからは見られるようになってしまった 昨日も言ったけど本人には何の自覚もないままにだ 今じゃレコーディングなんて別に普通に誰でもやってるしCDを作ることも何のハードルがないけど当時は「レコード」を出すなんてけっこう「凄いこと」と思われていたからかも知れない...
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僕の歌うたいとしての初舞台はやはり吉祥寺ぐゎらん堂だった 今思うとあの時代・・・僕は本当に恵まれていたと思う オリジナルの曲は19歳の頃から書き始めていた 当時「現代詩」をずいぶん読んだなあ・・・ 谷川俊太郎、ラングストン・ヒューズ、アルチュール・ランボー、金子光晴、山之口獏、長田弘、黒田三郎、吉野弘・・・まだまだ ギターにはそこそこ自信はあったが曲・・・それに歌にははっきり言って自信がなかった...
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いつごろからなんだろう 吉祥寺が「若者の街」と呼ばれるようになったのは 今は何て呼ばれているのかは知らないが「若者の街」という名称はちょっとばかり誇らしげなニュアンスを持って付けられていような気がする とは言っても物理的に確かに吉祥寺は若者の街ではあった それにはちゃんとした理由があって、まず学校の数が多い...
View Article日々のこと
さて、このところずうっと「僕の吉祥寺話」を連載してきたが毎日のペンギンハウスの話題も入れてかないとそれはそれで片手落ちになりそうなのでちょっとここらで一旦お休み それと今元「ぐゎらん堂」マスターの村瀬春樹さんにお願いして当時の資料の写真とか送ってもらうことになったのでこの資料が揃ってから続きの話をするということで・・・ さて、今日はドラムの修理だ...
View Articleこれだもんな
今月14~15日の大雪 特に被害がひどかったのが山梨県だった 僕の家の周りもかなりの積雪で生活にも交通にも支障が大いに出た でも、実際のところはどんな状況だったのか? 東京に居るとイマイチその状況がしっかりとは伝わってこなくて僕もずいぶんと歯がゆい思いをしていたのだ 山梨の地元で発行されている「山梨日日新聞」 そのホームページに今回の県内のあちこちの当時の状況が写真でアップされていた ⇒これ だ...
View Article難しいぞ~
今時間をみつけては録音作業をやっている と、言うのもペンギンハウスの出演者 泥窪がCDを作ることになって、今回はその録音だけでなくてバックのギターなども僕が弾くことになったのだ 現在はその曲の「オケ」を作る作業をやっているのだが・・・...
View ArticleScorch Trio
先日、ペンギンハウスで購入したオムニバスアルバム「ルーネオロジー」 北欧のミュージシャンたちが集まったオムニバスアルバム どれも素晴らしいのだが、特にその中でも抜きん出てすごい演奏をしていたのが「Scorch Trio」というユニットだ Raoul Björkenheim(g) 、Ingebrigt H. Flaten (b) 、Frank Rosaly (ds)というメンバーだそうだ...
View Article雛祭りということで
今日はステージのカーペットのクリーニングを念入りにやった 今日の「雛まつりライブ」 アサダマオ、ハルミ 、 たけもとまりこ、 マメルダ、 藤原愛 という豪華顔ぶれ ペンギンハウスに君臨する姫君たちのお足元を少しでも綺麗にしとかなきゃ・・・ というわけで「カーペットロール」でほこりゴミなどを取るのだが、これがタイヘン!...
View Articleなるほど
今日新しいフライヤーが持ち込まれた 正確には「フリーペーパー」だ 「新しい」といえばこういうは新しいなフリーペーパーあ ブックレットタイプなのだが「CD付きフリーペーパー」か「フリーペーパー付きCD」なのか・・・ これは高円寺に拠点をおく「引力レコーズ」というところが制作したものだ 中にはこんなメッセージが書かれてあった⇒ うん、いいこと言うね...
View Article日曜日には
今日はちょっと寒いけどお天気がいい 少し早く眼が醒めてしまったので店に行く前に近くの公園へサンポにでかけた 3月に入ってなんだか寒くなっちゃったけど・・・道端の生垣には沈丁花のツボミがふくらみ始めてる 春がすぐそこまで来てるのは間違い無さそうだ いつもの公園・・・思ってたほど人は多くない 一ヶ月ぐらい前に来た時は池にカモがたくさんいたがいまはほとんどいない なんだか静かな今日の馬橋公園...
View Article今日と明日
今日は例の泥窪のレコーディング作業のうちの”ベース入れ”をやっていた 僕は普段はベースをほとんど弾かないし第一「ベースマン」ではないのでこの作業はなかなかタイヘンだ ベースという楽器実に奥が深い テクニックも当然だが”センス”がすごく大事なのだ 目立たない楽器なゆえに・・・逆に難しいのだ ところで、今日店に来る途中の家電屋の外置きのテレビで何かの慰霊祭を中継していた...
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